先月末から体調を崩され入院していた松岡さん、4月初めにお見舞いに出かけた時は、治療のための投薬で眠そうにされていたが、意識はしっかりあって僕の事もちゃんと認識してくれて、病室はさながらいつもライヴをやる楽屋のような雰囲気だった。ただご家族から病状を聞くとかなり悪い状況だと。そして昨日この訃報を聞いたのだった。
実はこのお見舞いの時に初めて知らされたのだが、なんと松岡さんは、2001年にガンが発症して今までずっと病気と闘ってこられたという。それから13年間、ご家族とともに病気と向き合いながら音楽生活を送ってこられたことを、今まで僕は全く知らなかったのである。これは身近なミュージシャン皆が誰も知らなかったことで、松岡さん自身が誰にも知らせなかったということである。
その13年間、僕は松岡直也グループとラテンセッションの2つのユニットに参加してきた。昨年3月の横浜モーションブルーでのラテンセッションのライヴが、松岡さん自身も最後の演奏となった。その後ライヴのブッキングが無かったので、体調でも崩されているんだろうか?くらいに思っていたところ。
最後のライヴの演奏も印象的だったが、70歳を過ぎても年々ピアノの演奏はどんどん充実していきている印象で、これは一緒に演奏したメンバー皆が口にしていたことでもある。まさかガンと闘っているなんて思いもしなかった。僕が21歳で初めて一緒に演奏させてもらった時の松岡さんの印象は「気も身体もタフで強い人」で、それは亡くなるまでずっと変わらなかった。本当にこんなに”強い”人は他に誰も知らない。
さて、もし松岡さんがガンである事を周りのミュージシャンに明かしていたとしたら、果たして皆どう付き合っただろうか?僕が思うには常に皆が松岡さんの体調に気遣いながらの演奏になっただろう。それは音楽以外の別の感情をもって演奏に挑むことになったはず。松岡さん自身がそんな状況になるのを望んでなかったのだ。演奏するからにはプロとしてしっかり全力で集中してお客さんに自分の音楽を届けるのだという強い心から、僕らミュージシャンにさえ隙を見せず頑張ってこられたのだと思うと、ひたすら頭がさがる。人は強く生きるべきだと最後の最後まで教えてくれたのだ。
松岡さんとの想い出は、とてもブログなどに書ききれぬほど膨大だが、ただ確かに言えることは僕が松岡さんと出会っていなかったら、今の自分は存在しないという事。音楽のノウハウ、ミュージシャンとしての心構えまで、ありとあらゆることを教わった。時に厳しく、決して丁寧に説明を受けた訳ではないが、松岡さんが音楽に対して向かう姿勢そのものが、僕に多くの事を教えてくれたのである。
日本の音楽史上、希有な存在だった松岡直也さん。これだけ素晴らしいピアニストは今後そうそう現れないだろう。長い間、松岡さんと一緒に演奏出来た時間は自分の宝であり、誇りである。これからも自分の心、音楽にずっと影響を及ぼし続けるだろう。
長い闘病生活にさぞお疲れになったと思う。心よりご冥福をお祈りいたします。